青森県南部から岩手県北部の旧南部藩地城に伝わる盆踊り唄「ナニャトヤラ」にちなみ、八戸、二戸、久慈地域が県境を越えた連携を図るため「北緯40°ナニャトヤラ連邦会議」を設置し、連携事業を展開しています。

「北緯40°ナニャトヤラ連邦」エリア内には、藩政時代の南部氏にまつわる歴史や、地域に親しまれている郷土料理・伝統工芸などの文化がたくさんあります。各スポットを巡りながら、そのスポットにまつわる歴史や文化に触れてみましょう!!各スポットには、ご当地PRキャラのスタンプを設置しています。その中には今回だけの特別仕様のスタンプもあります。スタンプの完全制覇を目指して、レッツチャレンジ!!
こんな豪華賞品が当たる!!



※3市…八戸市、二戸市、久慈市 ※応募期間は実施期間に同じ(11月30日までの消印有効)
※当選者の発表は商品の発送をもってかえさせていただきます。



さらに今なら!

X(旧Twitter)でナニャトヤラ圏域を周遊した思い出の写真(歴史スポットや食べた郷土料理、購入したお土産など)を投稿してくださった皆様の中から、抽選で毎月6名の方に、1,000円相当の特産品をプレゼントします。
【参加方法】
①公式X(旧Twitter)「@40_kouiki_kanko」をフォロー。
②ハッシュタグ「#ナニャトヤラリー」を付けて投稿。
フォローはこちらから≫
スタンプ設置場所


根城は、建武元年(1334)に南部師行によって築城されたと伝えられています。城館としての地形が良好に残ることから、昭和16年(1941)に国史跡に指定されました。昭和40年代から行われた公有化と発掘調査成果をもとに、史跡根城の広場として平成6年にオープンしました。


広々とした芝生の敷地内に、図書館や記念館などを有する公園です。同施設内には寛永から明治初期まで地方一体を統括していた「五戸代官所」があります。五戸代官所は旧盛岡藩(南部藩)の代官所であり、現在は門だけが現存しています。


隣接する寺下観音は住職であった津要玄梁和尚が享保15年(1730)に「常燈明堂」を建立しました。これは階上海岸を行き来する船の安全及び四代八戸藩主広信公の天然痘治癒祈願のために建てられたものです。その後、藩主広信公が治癒したことから、藩は長きにわたり寺下観音へ金銭や物資(鐘撞堂)など多くの支援を行い、繫栄しました。


おいらせ阿光坊古墳館の付近にある下田小学校は、かつて南部氏第二十六代信直公の遠縁にあたる治太夫直勝が、この地域一帯を治める拠点として築いた下田館があったと伝えられています。現在でも堀をめぐらした跡が遺っており、館神として祀られた稲荷大明神は下田本村の産土神として旧村社神明宮と相殿で祭られています。


南部町は南部藩発祥の地といわれ、北東北最大の戦国大名三戸南部氏の本拠地であった聖寿寺館跡からは、当時の南部氏の権威や都との交流を象徴するような、東北最大規模の堀立柱建物跡や版築土橋跡が確認され、国内屈指の高級陶磁器が出土しています。平成16年9月には国史跡に指定されました。案内所では最古の向鶴銅製品など聖寿寺館跡から出土した当時の生活用品や武具などを展示しています。


三戸城は、三戸南部氏により戦国時代(16世紀中ごろ)それまで居城としていた聖寿寺館(現南部町)の消失に伴い、現在の三戸町中央部の独立した段丘に築城されました。のちに居城は福岡城(現二戸市)を経て盛岡城へ移されますが、三戸城は温故城として城代や代官が置かれ、盛岡藩主により大切にされました。


三戸南部氏の繁栄の一助となった田子城址の北東(鬼門除け)に位置する耕田寺に近く、城を防衛した田子川沿いにあります。当時の城づくりに思いをはせ、散策の拠点としても便利です。


新郷村は、南部氏の軍用馬の放牧地・育成地として古くから利用され、年に良馬140頭を生産するほどの名馬の産地でした。


北東北随一の中世城郭の遺構を残す「九戸城跡」。豊臣秀吉全国統一最後の合戦「九戸政実の戦い」の場となりました。九戸城エントランス広場にあるガイドハウスでは、九戸城の歴史を紹介するポスターやDVDをご覧いただけます。


軽米町には、在地領主から発生した軽米氏の居城である「軽米城」が存在し、九戸政実の戦い後には、北信愛の三男愛継の居城となりました。現在、「軽米城」の跡地には軽米町役場が建っています。ミル・みるハウスは、町の特産品や農産物を販売しているほか、地元グルメを味わえるレストランや観光案内所も併設しています。


九戸政実の生誕と終焉の地である九戸村には、「熊野舘」、「大名舘」、「長興寺」、「九戸神社」などの多くのゆかりの地が点在しています。まちの駅「まさざね館」には、物産品販売コーナーや無料休憩コーナーがあります。


御所野縄文博物館は、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産である御所野遺跡に隣接する博物館です。縄文時代の展示品の他にも、南部氏の一族である一戸氏の居城「一戸城」や姉帯氏の居館「姉帯城」の出土品を展示しています。


久慈城は久慈氏の居城で、中世の平山城です。久慈信実が文明年間に久慈市大川目に居城したと推定されています。天正9年の九戸城主九戸政実と三戸城主南部信直との「九戸の戦い」で、久慈直治は娘婿の久慈政則とともに九戸方の武将として参戦しましたが、九戸方は破れ、久慈氏の直系は滅亡し、久慈城は廃城となりました。


南部藩は藩内での自給自足を原則として製塩を推奨していたが、その主要な産地の1つとして野田村も数えられていました。1683年には南部藩内の製塩釜123基中、41基が野田の釜でした。観光物産館ぱあぷるでは、野田塩の歴史に触れることのできる模型の展示を行っており、また、昔ながらの薪窯直煮製法で作られている「のだ塩」の製造も行っています。


青森県南部から岩手県北部に伝わる日本最古とも言われる盆踊り「ナニャドヤラ」の文化が受け継がれており、お盆やお祭りになると小さな集落でも踊られています。「ナニャドヤラ」の由来については諸説ありますが、未だに謎とされています。


普代村萩牛(はぎゅう)地区には、かつて南部藩直轄で運営されていた「割沢鉄山跡」が遺跡として残っています。割沢鉄山は、南部藩を代表する鉄山として年間約400トンの鉄が生産されていました。萩牛地区の名産である「鉄山染」は、鉄分を多く含む水やサビを使って染め上げるもので、虫よけにも効果があるとされています。

※各施設の直近の営業時間等に関しては、各施設のHPをご確認ください。